震災の影響で、4年振りだと、20年以上かよってる神田小川町の歯医者の先生にうかがった。そういえば、20年以上前に、まだ、神田美土代町で働いているとき、近所の写植屋さんの誘いで神輿を担がせてもらったなあ。
神田祭の起源については記録文書等がほとんど遺されておらず、詳細は不明であるが、大祭化したのは
江戸時代以降のことである。
江戸時代の『神田大明神御由緒書』によると、
江戸幕府開府以前の
慶長5年(1600年)に
徳川家康が会津征伐において
上杉景勝との合戦に臨んだ時、また関ヶ原の合戦においても神田大明神に戦勝の祈祷を命じた。神社では家康の命による毎日の祈祷を行っていたところ、9月15日の祭礼の日に家康が合戦に勝利し天下統一を果たした。それにより家康の特に崇敬するところとなり、社殿、神輿・祭器が寄進され、神田祭は徳川家縁起の祭として以後盛大に執り行われることとなったという。
江戸三大祭について「神輿深川、山車神田、だだっ広いが山王様」と謳われたように、神田祭も元々は
山車の出る祭りだったが、
明治以降
路面電車の開業や
電信柱の敷設で山車の通行に支障を来すようになり、次第に曳行されなくなった。さらに
関東大震災や戦災によって全ての山車が焼失した(但し山車に飾られていた人形や、明治期に売却されたという山車が関東各地に伝存する)。現在は山車に代って町御輿が主流となっている。